司法試験受験の今昔

2010年7月14日
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司法試験受験の今昔
 最近、私の事務所にも、ロースクールからエクスターンシップという実地研修で院生が来られていた。
 色々話しをさせてもらったが、現在のロースクール生のみなさんは本当に大変だなあ、というのが実感だ。

現行ロースクールと新司法試験、ロー生(ロースクール生のこと)の現状はあらかたこんな感じ。

1 ロースクールを2年または3年かけて卒業した人だけに受験資格がある。
2 3回以内に合格しなければ、受験資格を失う。
3 ロースクールでは、講義等が朝から夕方まで詰まっており、またレポートの提出等の課題も多い。
4 しかし、ロースクールをたくさんつくりすぎたために(つまり文科省がロースクールの認可をたくさん与えすぎたために)、新司法試験に合格するものはロー生の少数にならざるをえないため、ロー生は受験勉強をするのが生活のメイン。
5 ロー生は、いろんな面で(とくに時間的に)大きすぎる負担にあえいでいる。

 昔、私が司法試験に合格した頃(平成9年ころ)というのは、司法試験合格人数は700人と今よりずっと少なかったが、受験生活そのものは、今のロー生の生活よりも楽だっただろうとおもう。
 私は京大出身だが、京大ではほとんど授業の出席はとらないので、授業に出たことは、4年間でも数えるほどしかない。2回生のころなどは、本当に、健康診断と試験のとき以外は、大学に行くことすらめったにないくらいで、学友の間では「村上失踪説」「村上死亡説」「村上は大陸にわたってジンギスカンになった説」が流れるほどであった(最後のはウソです)。
 大半の時間を、塾講師のバイトと遊び、スーパーファミコンですごしていたが、2回生の終わりごろから、「大学に行かせてくれた親に申し訳ない。資格を取ろう!」と思い立って司法試験の勉強に励むようになった。
 司法試験の勉強も、大学の授業は全く出ず、ほとんどは先輩から譲り受けた司法試験予備校の授業テープを倍速で聴いて図書館で勉強した。
 4回生のときに合格するまで、塾のバイトもスーパーファミコンもずっと続けていたし、午前中は寝ている日が多かったから、勉強に費やす時間は一日平均するとそんなに長いわけではない。5~6時間がせいぜいであろう。もちろんその限られた時間は、神経を研ぎ澄まして勉強したのだが。
 けれども、合格できたのは、皮肉にも「授業に出ずに済んだから」というしかない。
 つまり、勉強に費やす時間をすべて「自学自習に当てることができた」のが、短期合格の最大の理由である。
 京大の「ゆるさ」「ぬるさ」のお陰である。大学の選択がよかった。きちっと「出席」を取る大学に行っていたら私が4回生のときに司法試験に合格することはおそらくなかったであろう。

 さて、そこからひるがえってみると、今のロー生の生活はきつい。
 まず大前提として、ロースクールは「授業にでなければならない」のである。ローの単位が認定され卒業できなければ、いくら優秀でも司法試験の受験資格は与えられない。
 「授業は最大の拷問」。今でも私はそう思っている。じっと机に向って人の話を聞いているなど、私にとっては拷問である。「睡魔さん」でもやってきてくれれば楽になれるが、「睡魔さん」にも見放されているような日はどうしていいかわからず、ただなかなか動かない時計をなんども見返すばかり。だから、私は絶対に学生生徒の時代に戻りたいと思わない。
 ということで、もっとも、普通の人は、私ほど授業が苦手なわけではないとは思うが、それでも、朝から夕方までずっと授業があって、「人の話を聞く」時間に一日の大半を取られてしまうのは事実。これはつらい。
 
 しかし、法律の勉強、というか、試験に向けた勉強というのは、授業をいくら聞いてもそれだけではだめで、自分でじっくりと本を読んだりノートにまとめたり問題を考えたりしてみなければ、合格する力につながらない。
 だから、授業を一日に5~6時間も受けてしまうと、さらに他の時間のなかから最低でも5時間くらいは「自習時間」を捻出しなければならず、一日の勉強時間が10時間を優に超えてしまうことになる。
 本当に、ロー生のみなさんは深夜まで、ロースクールの自習室で勉強しておられる。大変そうで、みなさんの健康を私はいつも心配している。遊ぶ時間もないだろう。

 もちろん合格人数は以前の倍以上に増え、試験そのものの合格難易度は下がっているのだろうが、強いられるロー生活の中身はきつい。
 それも合格しない人のほうが多いわけだし、新司法試験は3回不合格になるともう受験の機会すらなくなってしまうという、なんとも厳しい制度だ(私は、この「3回制限」に反対。夢をあきらめることを強要されるのはあまりに気の毒だ!)。
 
 ところで、ある程度大きな試験で高得点を取ろうと思えば、一日の勉強は腹八分目にしなければならない。腹八分目を毎日つづけなければならないのだが、10時間も勉強してしまうと普通はおなかいっぱい、明日はもう無理~となってしまうであろう。それではかえって合格は遠のく。
 私なら10時間勉強は無理。
 
 とはいえ、とはいえ。
 私も一日10時間以上勉強した時期がある。
 私は、今までの人生で、高校受験を控えた中3のときには一番勉強をした。たぶん、ご飯とお風呂と移動時間以外はほとんど勉強をしていたとおもう。
 でも、それができたのは、中3という若さと、若いゆえに視野が狭くそれだけに没頭できたのと、なんとしても神戸の私学に行って沿線に女子校がたくさんある阪急電車で通学をする高校生活を送りたいという「強力な不純な動機」に突き動かされていたからだ。
 中3の私と同じような「お猿さんパワー」を、もう立派な大人になられている(最低でも22歳以上)のロースクール生のみなさんは持ちたくとも持てないだろう。
 
 法律の勉強というのは、基本的には、自分で本を読んでするものだ、とおもう。
 人の話を聞いて理解するなんてのは、サブ的手段にすぎないのではないか。
 だから、もっと授業時間は少なくていい。

 昔なんかは、授業など一切聞いたこともないが自分で本を読んで勉強して司法試験に合格した、という人もいただろう。
 それだって実力が伴えば何の問題もない。立派な法曹になれるはずだ。
 
 各ロースクールは、今、新司法試験で合格者を出して生き残るに必死である。
 思い切って、授業時間を一こま90分から45分に減らし、その分を「自習」にしてみたら、合格率が上がるかも?と真剣に思う。
 あるいは出席の単位認定への反映を、私が通っていた(いや実際には通っていなかった)ころの京大法学部なみに緩くすると合格率は上がるであろう。

 というと、せっかく授業を一生懸命されている先生方に申し訳ないような気もする。
 でも、そういうものだとおもう。
 人間の学習とその効率を考えると、今まで、大学でも何でも「授業」時間が長すぎたのだろう。別に、先生が悪いわけではない。
 私のころの京大法学部の先生方は立派な法学者の方ばかりであった。それゆえ、授業をさぼる私のような

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